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<過去歴>日本の敗戦が伝えられた> ◆ソ連参戦◆ ソ連参戦にゆれた8月9日。その直後天皇の裁断により本土決戦を主張する軍部をおさえポツダム宣言の受諾による日本の降伏が決まった。 ◆玉音(ぎょくおん)放送◆ ・「敵は新たな残虚な爆弾(原子爆弾)を投下し多くの罪なき人を殺し、その被害は測れ ない」 ・「このまま戦争を続ければ日本民族の滅亡を招くだけでなく」 ・「人類の文明まで破壊してしまうだろう」 ・「これから日本は、とてつもない苦難を受けるだろう」 ・「国を思う民の心中はよくわかっている」 ・「だが、私は時の運に従い、耐えがたいことを耐え、忍びがたいことを忍び」 ・「未来のために、平和な道を開きたい」 太平洋戦争から1347日目、1945年(昭和20年)8月15日、その日も開戦と同じく青空が広がっていた。正午のラジオで日本の敗戦が伝えられた。国民が初めて耳にする天皇の肉声、玉音(ぎょくおん)放送でした。 ◇医学生:山田風太郎(23)「負けたのか、信じられない。この静かな夏の日の日本か が、この瞬間から恥辱(ちじょく)に満ちた敗戦国となったとは」 ◇作家:内田百開(53)「熱涙垂れて止まらず。この滂沱(ぼうだ)の涙はどういう涙 かということを自分で考えることができなかった」 ◆降伏文書調印式◆ ・・・玉音(ぎょくおん)放送から18日後、太平洋戦争の終結が正式に認められる・・・ ◇開戦から3年8カ月・日本敗戦◇ ポツダム宣言受諾降伏調印は9月2日、東京湾上アメリカ戦闘艦水リー号・甲板(かんぱん)において行われた。連合軍最高司令官マッカーサー(65)・イギリス軍バージバル中将 ◆敗戦を異国で迎えた将兵は300万人◆ ・・・サイパン・べりリュー島・硫黄島など・・・ 生き残った罪悪感にさいなまれているひとがいました。玉砕を免れた喜びをかみしめていた人もいたという。 ニューグリテン島で敗戦を迎えた、漫画家:水木しげる(23)の言葉「”g玉砕”というのは、どこでもそうですが必ず生き残りがいます。将校・下士官・馬・兵隊・といわれる順位の軍隊で、兵隊というのは”人間”ではなく馬以下の生物といわれていたから、僕は玉砕で生きて残るというのは卑怯(ひきょう)ではなく”人間”として最後の抵抗ではなかったかと思う」 |
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